思い出と死を書いています。自己責任でどうぞ。

2016年11月27日 00:40








 本日、2016年11月26日15時8分、愛犬が病気のため、産まれて以来慣れ親しんだ畑の、土草の上で絶息しました。

 病気になってから鳴くことすら出来なかったのに、今日になって突然ギャインギャインと鳴き出すから、ずっと傍で頭や背を撫でて。
 異常に膨れた腹とは反対に、痩せ細った前足や首を上げて、他へ移りたいって鳴いて。
 血反吐のような吐瀉を始めたから、思う存分吐けと猫車で、陽光で温まってた畑に連れて行って、父と途中止めだった柿の木の剪定をして。
 30分ほどで根元から60cmほど残して伐り終え、祖母宅の犬の散歩があるからと出発した直後、両親の目の前で突然立ち上がり、フラッと倒れて、そのまま息絶えたらしい。
 日中ずっと傍にいたのに、死に目にはあえなかった。
 おまえも一緒に行きたかったのかと、最後に一撫でしてやればよかったと、悔いている。

 目は開きっぱなしだった。
 口周りはあぶくだらけで舌が出てた。
 倒れたときの影響か、首が90度反れていた。
 帰ったとき、両親は泣きながら、切った柿の木の根元に穴を掘っていた。
 脹れた腹ばかりが目立つ、やせっぽっちだけど重い骸を猫車に乗せて、私が運んだ。
 抱えて穴に入れようとしたけど、「もう痛がらない、そのまま落とせ」と言われ、猫車を傾け、滑り落とした。
 穴は三人で埋めた。
 墓参りセットを持ち出して、蝋燭と線香を立てた。
 使っていた毛布やボロボロの敷きマットは、畑で剪定した木々と燃やした。
 残ったのは、一度も使ってくれなかった犬小屋と、青い首輪、買ったばかりの大量の餌。
 両親は冗談を言い合って笑っていたが、目を赤くしていた。
 私は、泣かなかった。
 二人が泣くから、泣けなかった。
 私の性根は曲がっている。

 症状が顕著になった段階で、呼べば即座に足元へ戻ってくる事、人を咬まないよう躾けていた事から、束縛の繋ぎ紐は外していた。
 首輪だけ付けた、いわゆる放し飼い状態だったけど、ご近所からの咎めはなかった。
 腹と歩き方を見たら「こいつは向かって来ない」と思っただろうし、没後5年以上経った現在でも、町内では祖父の威厳が残っていたからかもしれない。

 腹の重みで段々と歩けなくなり始めた頃、愛犬は陽光の中、徒歩30歩の道を1時間かけて歩き、畑で数時間を過ごしていた。
 本当ならもっと遠くへ行きたかっただろうが、動けないから出歩くことを彼女は諦めたようだった。
 畑の最北東、柿の木の下で蹲り、東の遠方を延々と見ていた。
 呼んでも片耳を向けるだけで、微動だにしなかった。
 雨の予報が出た日は、高さ1.3mの木柵で囲っただけの屋根付き住処まで、筋力衰える体を抱えて運んだが、恨めしそうな顔で見られたのを憶えている。
 この子は、あの段階で死に場所を決めていたようだ。
 そこが良いと伝えるために、毎日座り込んでいたらしい。
 だから今日「畑に連れて行け」と、体力を過剰に消費すると分かっていて、吠えたに違いない。
 自身の垂れ流した糞尿に群がる蝿が飛ぶ汚場ではなく、自然の中での死を望んだに違いない。

 未熟児だったため右後ろ足の形成が遅れ、座り方も不自然だったタヌキ面のオチビ。
 番犬として雉や野良生物を追い回す、ハンターの成犬。
 日光浴を楽しみつつ、尻尾を振ってじゃれ付いてきた晩年。
 どれも大事な思い出だけど。
 写真や動画は残ってるけど、声がないんだよ。
 声で調子や気分を察してやってたんだよ。
 もう聴けないよ。
 遊びに行きたいと訴えるヒュン鳴きも、帰宅を迎える甘えた遠吠えも、もう聴けないんだよ。
 いくら性根が曲がっているからといっても、これからじわじわ、ペットロスというものが来るだろう。

 あの子はもう数年は生きられた筈なのに。
 蚊による病気ってのは分かってるから、私は原因の蚊を潰し続けてやる。
 叩いても生きてたら足を摘まんでコンロの火に放り込むし、掌で潰したら消しゴムカスのように摺り伸ばしてやるし、殺虫スプレーで絶えていく様を更にスプレーしながら嗤ってやるつもりだ。
 マムシも許さない、見つけたら頭を踏み付け磨り潰した上で、動きが止まるのを嗤ってやる。
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